ドスのきいた男の声と最終通告。
ドスのきいた男の声と最終通告。
『うまく切り抜けている、さすが俺だ、あと一週間、時間稼ぎをすれば自分の力で完済できる……』
スーツに着替え、看板持ちのバイトをしに新興住宅地の駅へと向かいます。
夜中、電話線に細工をしてきました。母親は夜まで帰ってこない。『馬鹿め、延々と誰もでない電話を鳴らし続けるがいい』カラフルな新興住宅地の屋根を車窓から眺め、私はほくそ笑んでいました。
その日は雨が降っていました。駅から大通りに続く並木は健康的な緑で私を迎えましたが、アスファルトは水を吸って重苦しさが増しています。
吹き込む暖風は大量の湿気をまとい、肌に絡みつきました。ちいさなビニール傘を差し、雨をしのぎます。
「今日はあまりお客さんは来ないかもなぁ」
内心ホッとしたような声で、営業は呟きます。看板は私の背丈よりも高く、表側だけ入念にシートが貼られていました。
午前中、確実に携帯が鳴ることはわかっていました。
だから、身を隠せる公園の近くが今日の立ち位置だと知ったときは、思わず営業に感謝せずにはいられませんでした。
『首都圏はあいにくの雨。午後にはあがるとの予報ですが、今日はずっと曇り空なんですって。ねぇ。昨日はあんなに晴れていたのに。ドライバーの方、運転には気をつけてくださいね。はい、それではここで、今週のランキングトップ8の紹介です……』
片袖にとおしたイヤホンでラジオを聴きながら、過ぎゆく車をボーッと眺めていました。
電話がかかってきたら、またいつもと同じようにかわせばいい。延滞は過去最大の期間になりそうだけど、きっといける、大丈夫。
ブゥゥゥン……
ブゥゥゥン……
午前10時。着歴の多数を占める、見慣れた番号から電話が掛かってきました。
「はい、森田です」
ビニール傘に雨があたり、ボタボタと音がするので、私は路上から少し公園にはいったところまで移動し、通話音量を上げました。
「◯◯の佐野と申します。森田様、只今お電話よろしいでしょうか」
「はい」
「昨日の件ですが、現在、当社で入金確認ができないのですが、ご入金はいただけましたでしょうか」
『きたきた、いつものパターン。このオンナのひとも、マニュアルとか見てやってんだろうなぁ』
「え、あれ、確認できませんでしたか? そんなはずはないと思うんですが。あれ、ちょっと不安になってきました。ちょっと確認してみていいですかね?」
「何を確認されるのですか?」
「え、いや、振込口座が正しかったかどうかをですが」
「口座については通知に記載されているとおりです。ご入金はいつしていただけるのですか?」
(あれ、ちょっといつもよりキツい? まあでもオンナのひとだし、もうちょいで逃げ切れるかな~)
「あれ、あ、すいません、それはわかってるんですけど、ですので、私が昨日振り込んだ口座番号を確認して、それから改めてですね……」
「森田様、少々お待ちいただけますか?」
「はい?」
(なんだよ、なんなんだよ……)
突然、ドスのきいた男の声に変わりました。
「あのさ、森田さん、いままで電話聴いてたんだけどさ、口座、わかってますよね。いつ返してもらえるの?」
敬語でなく、優しくない。全身が硬直し、心臓が止まりそうになりました。
「……ぇ」
生唾が喉につかえ、喋れなくなりました。一瞬で察しました。
『そんな嘘が通用してるとでも思ったか、アンタいい加減にしろよ…』電話越しの男には、私の行動が全部バレている……。
「ぁ……ぁ……」
両目から涙が滲んできました。膝がガクガクし、携帯を持つ手も震えで止まりません。
「すぃ……すいません……すいません、すいませんでした、あ、あし……あし……た……です」
「全額?」
「はぃ…」
「本当に全額返せるんだよね?」
(苦笑したような声で)
「ぁ……ぁ、はぃ……」
「森田さん。何度も延滞してますよね。もうそのカード使えないから。この電話が終わったら、切って捨ててくださいね」
「え、捨て……いや……それは……あ、は、はぃ……切って、捨てます……」
そのまま電話を切られました。え……うそ、カード、もう使えないの……? いつもちゃんと返してるじゃん、遅れてるけどちゃんと返してるじゃん……。
全身から血の気が引いていきました。
ビニール傘から太い水滴が垂れ落ちていました。水滴はアスファルトに弾かれ、溝へと流れていきます。
それから先はほとんど記憶がありません。感情を失い、立ち尽くしていました。