ギャンブル依存症患者が綴るノンフィクション。

自戒の念を込めつつ、15年間に渡る「ギャンブル依存症」の悲惨な経験を赤裸々に綴ります。こんなダメ人間にはならないで下さい。毎日更新しています。

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引きこもり。

 

それから数日、気持ちが沈んでいました。なんのやる気も起きず、廃人のように、自宅で固まっていました。


何故彼女に電話をしようなどという暴挙に出たのか。まさか、本当に彼女が私のことを待ってくれているとでも思ったのでしょうか。自分はなんてダサいことをしたのだろう。自分はなんて恥ずかしいことをしたのだろう……。


この、馬鹿さ加減。
まったく救いがありませんでした。

 


正直、「死ね!」と罵倒してくれたほうが、まだ救いがあった気がします。


一週間経ってもまだ気持ちは晴れず、納戸まで閉め切った部屋は私の時間感覚も狂わせました。


真っ暗な部屋の光源は携帯電話のディスプレイしかありません。日々、両親が仕事に出ていく音に救われ、両親が仕事から帰ってくる音に恐怖しました。誰かが階段を上がる音、扉が開く音、食事時に私を呼ぶ声。私はむきだしの自分では表に出ることができず、壁一枚を隔てなければ心が休まりませんでした。


『社会に出たくない。働きたくない。外に出るのが怖い。嫌だ。一生親のスネをかじって生きていたい。ひとに馬鹿にされるのが怖い。ひとと話すとき、わざわざ嘘をつく自分が嫌だ。でも、嘘をつかなければ自分が自分でなくなる。だからひとに会いたくない、関わりたくない……』


もう本当に、なにもかもが怖くなりました。仮に大学を卒業して、就職したとして、私はどんな立ち位置でひとと接すればいいのでしょう? イメージがわきません。いままではそんなこと、考えたことすらなかったのに…。


居酒屋のバイト先の高橋さんが昔、長い間、引きこもっていたときの話をしてくれたことを思い出しました。


『甘えてるだけじゃん。そんなことカミングアウトされてもそうとしか思えないよ。いい大人が年下にそんなこと言って、恥ずかしいなあ……』と、裏で見下していた私。


2週間経っても、私の停滞は治ることはありませんでした。寝て、暇潰しに携帯見て、寝て、携帯見て、寝て、携帯見て、食事して。


「あのとき、親友の◯◯君がいてくれたからこそ、私は立ち直ることができました」


そういう話も、結局はそれ相応の信頼を得てきたひとだから得ることができるのです。私は1人でこの状況から脱しなければなりません。そんなことなど、できるのでしょうか?


本当は、昔テレビで見たエピソードのように「家族の存在が私が立ち直るきっかけでした」と言いたかった。しかし、矛盾しているかも知れませんが、私は家族を裏切ることができず、嘘をつき続けたのです。


『誰にも会わず独りで試験勉強に打ち込んだため、気持ちが塞ぎ込んでしまい、鬱っぽくなったみたい…』


引きこもる生活が3ヶ月ほど経過し、心配する親には詐病して乗り切りました。デリケートな話にもなるので安易には言えないですが、少なくとも私にとって「鬱」はとても都合のいい病気でした。


そう言っておけば、誰からも理由を追求されることはないし、ひとによっては「繊細な奴なんだな」「真面目な奴なんだな」と悪くない印象を与えることもあります。


(その後、私はこの「鬱」を多用するようになります)


連絡をくれた知人に対しては、留年したことを伝えたり、伝えなかったりしました。伝えなかったひとに対しては、私は就職して働いていることにしました。


影響はありません。私は家にいるので目撃されませんし、その知人と別の知人が繋がっているわけではないので、ひとづてでそのことがわかることもありません。たとえ伝わったとしても、「恥ずかしいから嘘ついていたのか」くらいにしか思われないでしょう。そのひとは誰かに言いふらすわけでもなく、面白おかしく話題にするわけでもなく、ただ、いたたまれなくなって、私に連絡を寄越さなくなるだけでしょう。要するに、他人なのです。


それらの下地づくりは、音信不通や約束を何度も破ることで達成されます。信頼を木っ端微塵に砕く行為は、すべて私の意思で行ったものであり、私が願っていたことなのです。


もう、ここまでくると、あとには戻れなません。人生でやることはただひとつ。


パチスロ。それだけなのです。