偽りの自分04
彼女という足かせがなくなった私は、加速度的にパチスロにのめり込んでいきました。
しかしパチスロをすればするほど、お金がなくなっていきます
パチスロの軍資金作りのために、身の回りのものを売り始めたのもこの時期です。
ゲーム、漫画、CD、楽器。
コレクターと言うほどの量ありませんでしたが、人並みにはそれらを集めてました。
最初に売ったのは、某ジャンプ系の王道漫画でした。
「中学のころ凄いハマったもんなぁ。また読み返したいなぁ。パチスロなんかのために売るのは気が引ける…」
私はもともとモノを「売らない」「捨てない」主義でしたので(片付けられない主義ともいう)、パチスロ代捻出を理由にこれらを売ってしまうことは、かなり気が引けました。
ですが、その葛藤が破られたのは「これらを売らなければ昼飯代すらない」という、パチスロを原因とした生活苦によるものでした。
まあ、生活苦と言っても、実家暮らしなのでその表現が妥当かどうかわかりませんが…。
ともかく、
「売ったほうがいいや」ではなく、
「売らなければ現金が300円しかない」ような状況です。
「全巻で千八百円です」
最初に聞いたとき、「はぁ?」と耳を疑いましたが、漫画って最新刊以外は二束三文にしかならないですからね。。
でも重い荷物を担いで古本屋まで駆けつけた手前「じゃあ売るのやめます」とも言えず、すべて売っぱらうことに。
それから、
「スラムダンク全巻」
「ドラゴンボール全巻」
「ファイナルファンタジー5」
「ドラゴンクエスト3」(当時はファミコンソフトが売れるギリギリの時期でもありましたね。いまは何故か逆に一部カセットにプレミアがついてますが)
他、CD20枚程…
やはりここでも、一度「売ってしまった」ことによって、二回目以降の罪悪感や拒否感のハードルは著しく下がりました。
何故罪悪感や拒否感のハードルが著しく下がったかと言えば、他人に直接迷惑が掛かるわけではなかったからです。
自分の資産を、自分の意思で、自分の意図したタイミングで売るだけ、と自分を納得させればいいわけですからね。
もちろん、漫画のなかには、自分が小さいころに親が買ってくれたものもたくさんあります。
だから、そういった意味では、「思い出が売られていってしまう」ような感覚(=真実を知られたら誰かを悲しませてしまう感覚)もないわけではありませんでした。
しかし、親や彼女、友達への思い出が、脳の構造の変化を戻してくれるわけではありませんでした。
それからというもの、王道からコアなものまで、すべて売っぱらいました。
音楽機材も売りました。
機材は高校のときにバイトして貯めたお金で、合計20万円分くらいの機材(ギター、エフェクター、アンプ、リズムマシン、レコーディングマシンなど)を買い揃えてまして。
これは、それぞれ3,000円~25,000円くらいになりました。
でも、換金されたお金は結局、生活費に補填されるわけでもなく、すべてパチスロへと消えていきました。
「5,000円だと、明後日の飲み会に行ったらまた無一文になってしまうなぁ…パチスロをして増やさなきゃ」
このような思考回路。
5,000円以上の現金があれば、まずパチスロで増やそうという思考回路…。