卒業旅行の季節。
卒業旅行の季節。
とても寒い日でした。
真夏のアスファルトにまだら模様を描いた葉はすべて抜け落ち、キャンパスに貼りつく樹々の影はすべて針になってしまいました。
《受信1》
『元気? サークルのみんなで3月に卒業旅行にいくことを計画したんだけど、行こうよ。最後くらいは、全員一緒に。お前の参加待ってるから!』
《受信2》
『先輩が結婚するんだって。3月に二次会呼ばれてるんだけど、行く? ってかここ半年くらい返信ないけど生きてる?(笑)』
メールボックスには何通かメールがきていましたが、誘いのメールはいつものように無視しました。
のちに怒りのメールとともに知らされましたが、サークルの卒業旅行については、キャンセル料が発生してまで私の席を確保してくれていたそうです。
その話を聞かされたとき、私は真っ先に『なに勝手にひとのぶん予約してんだよ、ああ、キャンセル料を払わされなくてよかった』と思いました。
そんなことを考える自分に気付いたとき、私はつくづく「ヒト以下」になってしまったんだな、と悲しくなりました。
ひとが無償で、もしくは自分の犠牲を払ってまで誰かのためにそういうことをしてくれる、あたたかさとか、優しい気持ちを、諦めない気持ちを、私はいつのまにか理解できなくなっていました。
私はカネを貰うが、私はカネを払わない。私はモノを貰うが、私は1円たりともモノを誰かにあげたくない。約束は守らない。すべてが自分中心で、すべての利害はカネのため。カネ。カネ。カネ。カネ。
どんな手を使ってでもとにかくカネを得て、目一杯パチスロをしたい……。
この思考がデフォルトになっていました。
**
安いペラペラのマフラーでは風を防ぐことができず、体内に冷気が突き刺さります。
取得単位のチェックをしに大学にいた私は、半年振りに吉田と居合わせました。
「おう! 超久し振りじゃん。」
「おお、久し振り」
「元気してた?」
「いや、こっちの台詞だろそれは。いままでなにしてたの? みんな死んだんじゃないかって噂してたよ。……ってウソウソ。あ、そうそう、単位、どうだった?」
「ダメだった。留年決定。」
「……え?」
(本気で引いてる)
「……吉田は?」
(吉田も留年してないかな……)
「あ……いや、なんかさ、何故か奇跡が起きて、フルで取れてた。ただ、留年すると思ってたから就活してなくて、就職先まだ決まってないけど」
苦笑いして吉田はそう言いました。私は嫉妬で強烈に歪みそうな表情を抑えつけ、満面の笑みでこたえました。
「はは、よかったじゃん! いまからでもやれば見つかるよ、吉田なら。」
「え、留年、マジなの?」
「残念ながらね。悔しいけど、これが俺の実力だね。まあ、もう一年頑張るよ」
「内定決まってたんだよな? 内定先とかは……」
「ちゃんと謝りにいかないと。取り消しは確実だね」
「うわ、マジか。なんか酷いよなぁ本当。結局、試験の採点基準とかもよくわからないし、しかも内定決まってるのに単位落とすとか、教授らさー、性根腐ってるんじゃないかって疑っちゃうよな」
「ははは、でも仕方ないよ、また一年頑張るよ」
(いや、大学も教授も、四年生にはだいぶ寛容だと思うけど……)
「……都合ついたらまた飲みにいったりしような。俺は多分1年後フリーターやってるかも。ってかやってるな!相変わらずこんなんだし。俺がホールやる居酒屋にお前を呼ぶわ」
「ははは、ははは……」
吉田が視界から完全にいなくなるまで見送ったあと、私は拳を強く握り、奥歯を強く噛み締めました。
『クソッ……何故俺が、何故俺がこんな目に遭わなければならないんだ……』
**
「お土産、なににしようかと思ってメールしたんだけど、実用的なもののほうがいいかな?」
佐伯が海外からメールを送ってきました。
「なんでも嬉しいから、なんでもいいよ」
私はそう返しました。
卒業旅行。確かに以前、居酒屋で飲んだときに佐伯がそんなことを言ってました。
『佐伯のくせに海外にいきやがって……』
私は2年前からやっていたように、自宅のパソコンから、佐伯が加入しているサークルの掲示板を見ました。
《sakuma》
『あと3日だよ。みんな準備できてる?』
《エミ》
『この観光地に行きたい』
《じろう》
『雅恵さんたち、海外ではイチャイチャしないでくださいね。海外だと逮捕されるらしいよ(笑)』
《雅恵》
『されねーし!あー、待ちきれないよぉー』
《saeki》
『バイト代はたいてカメラ買ったから写真は俺に任せろ!』
はらわたが煮えくり返りそうでした。このやりとりに佐伯の名前を騙って名誉毀損の内容でも書き込んで、このサークルの関係をすべてぶち壊してしまおうか、と私は唇を噛みました。
『悔しい、悔しい、悔しい、悔しい、悔しい、悔しい……』
《送信》
『俺は3月にイタリアだー。最後の学生生活楽しみたいのに、内定先の課題がキツくて全然遊べないわ!でも、準備しなきゃいけない。。そういや、海外で準備しておいてよかったものある?あったら教えて~できるだけ早く!』
適当なメールをして、返信をせがみました。返信に時間を取られて、佐伯の楽しい卒業旅行の時間を少しでも削ってやりたいと思いました。
でも、メールは返ってきませんでした。
私はなにもかもがどうでもよくなり、佐伯には留年することを隠しました。広告代理店で勤務する設定のままにしておきました。
バレそうになったり、面倒臭くなれば、佐伯との関係を切ればいいのです。
でも、バレる気はしませんでした。
何故か?
佐伯のなかの私は、結局のところ、言葉でしか定義されないからです。
このまま一生会わずに、一生メールし続ければ、そのうち彼のなかの私は、弁護士になってたり、子供が6人ぐらいいる家庭を築いているかも知れません。
そう想像して私は笑いました。私は演者。みんなを満足させて、みんなを笑わせて、みんなが充実してくれればそれでいい。自分だけが犠牲になって、みんな楽しんでくれればそれでいい。私は笑いました。