元彼女との電話。
元彼女との電話。
「ごめん、聞こえる?」
彼女は、あまり声の聞こえない場所に移動しているようでした。私は彼女の声をもっと聴きたくて、感情が高鳴りました。
「いや、なんか、なんとなく、なにしてるのかなって」
「なにしてるって、そっちこそ、いまなにしてるの?」
お互い、少しドキドキしているのが伝わりました。彼女の声は、口調は、なにひとつかわっていなくて、私の涙腺は少し緩みました。
「いや、俺、実はまだ学生やってて。一年、留年中」
「そうなの?」
「うん、まあ、ちょっと。」
「そっか」
「いや……あ、あのさ、奈津美はいまなにしてるの? なったの? 介護士に」
「いや、実はまだ私も学生やってるんだ」
「学生?」
「うん、大学院に進学したの」
「へぇ、そうなんだ」
「うん」
「凄いな。なんの専攻?」
「教育だよ。生涯教育関係というか。ちょっと、興味が出てきちゃってさ。もう2年間、勉強したいなって思って」
「へぇ、」
「……」
「……」
「あの、ほら、いま、バイトとかしてるの? 昔、駅前のカフェでやってたじゃん、まだ続けてたりするの?」
「いや、いまはアパレルというか、服屋の店員のバイトをしてるよ」
「あそこの駅の?」
「いや、駅は変えたんだ。いま地元だとなかなかバイトないからさ。……そっちは?」
「あ、ああ、俺は、居酒屋のバイト辞めて、いまは広告代理店でバイトしてるよ。勉強があるからほとんどやれてないけど」
「へぇ、おしゃれだねぇ」
「業界だけね。仕事は地味だけど」
「ふふ、そうは思えないけどな。……資格、なにを目指してるの?」
「国家一種。多分、というか、絶対、無理だと思うけど」
「へぇ、凄いねぇ。そっかそっか。でもきっとやれると思うよ。私と違って頭よかったし、器用だし」
「いや、そんなことないよ。そんなことないって……」
「……」
「……」
10分くらい話をして、また沈黙がうまれました。私は生唾を飲み、ずっと出掛かっていた言葉を口に出しました。
「なあ、奈津美、久し振りに、会えないかな」
「え?」
「あ、ごめん、なんというか、唐突だよな、ちょっとだけでも。ダメ?」
「え、えっと」
「そんな、へんな話はしないよ。会って、少しだけでも、会って、話がしたいだけ」
「え……いや……」
この反応で、私はとっさに気付きました。もっと早く気付くべきだったのですが、勝手に高揚していて、なにもみえなくなっていたのです。
「あ……ごめん。そっか、彼氏がいるんだ?」
「うん」
「は、ハハッ、そうだよな、そうだよな、ごめん。ごめん……」
「うん……」
「いま彼の家だったりして?」
「うん」
「あ、そっかそっか! はは、そっか、えと、あれかな、学校の繋がりとかで?」
「うん」
「そっか、そっか! そっか、そっか。彼氏、優しいひと?」
「うん」
「はは、なんだ、幸せにやってるんなら、俺も嬉しいよ。よかった。」
「うん」
「あ、あのさ……あの……さ……どうしても奈津美に言いたいことがあって」
「え?」
「いや、俺、奈津美に突然別れるって言ったじゃん、あれさ、あれ、俺、ほかに好きな人ができたって言ったけど、あれ、嘘だったんだ。嘘だった。……はは、いまさらなに言ってるんだろうな、俺、」
「……」
「俺、ちょっとさ、なんというか、あのときちょっとおかしくなっててさ。だから、それがずっと言えなくて、どうしても、それだけが心残りで」
「……いいよ、もう、」
「そうだよな、そうだよな。はは! そうだよな。ごめんな。ごめん。ごめんってのもなんか変なのかな、ああ、でもさ、俺、奈津美が幸せそうで本当よかった。それがわかっただけでも嬉しいよ。」
「うん……」
「ごめんな、ごめん、勝手に電話なんかして。本当、勝手だよな。もう二度と電話しないから、二度と……」
「うん……」
電話を切った途端、私は子供のように大声で泣きました。
ガタガタと歯が震え、涙と、鼻水と、しゃっくりが出て、1時間経っても泣き止みませんでした。
パチスロをしてから、どんな金銭的な危機があっても、どんな惨めなことがあっても、どんなに大切なものを失っても、泣くことはありませんでした。でも、私はこのとき初めて泣きました。
4年間、自分はなにをしていただろう? 大学生活には絶望していたけど、期待していた環境にはいられなかったけど、それでも友達はいた。小中時代、高校時代、大学のクラスメイトやサークル、バイト。
本当に、なにも残らなかった。
カネは、失っても、死ぬ気でやればなんとかなることを私は痛いほどわかっています。
しかし、失ったひとはそう簡単には戻ってきません。
いま思えば、なにが不満だったのだろう?
みんな、描いた理想にはなれなくて、だから現状を受け入れて、その現状のなかでいかに楽しんでいけるかを考えるのに。それは決して妥協ではなく、新しい環境で、自分のあるべき姿を探さなければいけないのに。
私はずっと逃げ続けていたのです……