ギャンブル依存症患者が綴るノンフィクション。

自戒の念を込めつつ、15年間に渡る「ギャンブル依存症」の悲惨な経験を赤裸々に綴ります。こんなダメ人間にはならないで下さい。毎日更新しています。

ヒラメキ

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ヒラメキ

「いや、もしかしたら、ああいう情報に一度ふれたからこそ、最近はそこまで俺の就活に介入してこないのかもしれない。もしかしたら、父親にもそういう話をしているのかもしれないな。父は、母の言うことは余程でない限り認めるからな…」


推測でしかありませんが、あのときたまたま就活に思い詰めて心を病んでしまう若者の番組を見たことは少なからず影響を与えている可能性があるのではないかと私は考えました。

 


両親には、健全で、無邪気で、思いやりがあり、友達が多く、明るい私の姿しか見せていませんでした。パチスロにハマってからは、カネ欲しさもあって、なおさら明るい姿しか見せていませんでした。

 

明るい、という意味では確かあのドキュメントの若者もそういうタイプの人間だった。「人当たりがよく、弱みを見せない人間ほど、意外と心の闇を隠しているものだ」そんな偏向を信じているのかも知れない。

 

汚れなく、健康的で、ものわかりがよく、反抗しない、理想的な子ども。その子どもが壁にぶつかり、弱っていたとしたら。私は小さいころに生死をさまよう高熱を出したとき、2日間ろくに寝ずに看病してくれた母親を思い出しました。病人に対して人間にひとは優しくなる。単純な話だ。それを利用しない手はないのではないか。


しかし今回の構想は風邪や怪我ではなく、心の病だ。親のあたまには、そんな病に対応するデータベースはあるのだろうか。少なくとも、親の交友関係にそのような人物がいることを聞いたことがない。どんな反応をするだろう、私は思いました。

 


「最近、見ないけど元気してるの?」


「風邪まだ治らないの?」


「忙しくなくなってから、また遊ぼう」


「最近音信不通だけど、大丈夫かー?」

 

私はかつての友人からのメールを思い出しました。「なんとなくいつもと違うのかな」と気づいていながらも、その気持ちを発信しながらも、なにもしてこなかった。心配する気持ちをにおわせておきながら、メールでしか連絡をよこさなかったやつらと家族とはまた反応が違うはずだ。違って欲しい。

 

 


……いや、違う、その俺の考えこそが違うのかもしれない。


俺は目を覚まさなければならない。俺が見たあのドキュメントは単に愚者のやり取りを美談に仕立てあげたに過ぎないのだ。臆病な親による放置と不干渉。その結果、若者はますます心を病んでいった。


もしかしたら、病んでいると思う人間に、ひとはそもそも本音でぶつかることを避けようとするのではないだろうか? 原因が自身のデータベースにないような病であればなおさらだ。扱いがわからない。万一原因のひとつが私だったらどうしよう。いままでの接し方に間違いがあったらどうしよう。とりあえず治るまではそっとしてあげよう。私には見守ることしかできないがどうにか頑張って欲しい。はやく元気になって欲しい。いつか自己回復してくれるはずだ。またいつものように笑ってくれるはずだ。


そしてそれは相手との関係性が深ければ深いほど、罪の意識を自身に帰結させたがる人間であればあるほど、そう考える傾向にあるのではないか?


母親はまさに典型的な、そのような傾向を持つ人間だ。両親の遺伝を引き継いでうまれた私は両親の遺伝と教育の産物であり、当然のように私を否定することはできないはずなのだ。


人間は自らに生きる意味を見出そうとするいきものである


むかし、どこかで聞いたことのあるフレーズを思い出しました。すべてはこのとおりなのだ、と私は思いました。

 

自分にとって大切なひとが、自分が描いていたレールを外れ、転落しようとしている。「私の息子、心を病んでるんですよ」。周りにも言えるはずがない。それは自分自身を否定することに繋がるからだ。自分が正しいと思ってきた何十年間の価値観や経験、そして言動と行為のすべてが否定されることに繋がる……。


私は八方を塞がれた空間から、一筋の光明を見出しました。もう1年、カネを巻き上げることができるのではないか? 森田家の貯金も、資産もすべて俺のものにしたい。


カネが欲しい……そして時間も欲しい。

それらをどちらも、秘密裏に手に入れられるかも知れない。


興奮して無意識に目が見開いていました。寝巻きのシャツのしたは熱がこもり汗がにじんできました。行き場のない熱気は胸や腹に滞留しつづけました。

 

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