借金と加速する依存性03
「就活」という不穏な言葉に目を背け、私はせっせとパチスロに勤しんでました。
当時の機種ラインナップはこんな感じでした。
・イレグイ
・猛獣王
・一撃帝王
・アラジン
・サラリーマン金太郎
・ゴーストショック(ちょっとマイナーですが個人的に好きだった)
・サンダーV2
爆裂AT機全盛期で、恐らくパチスロ市場、売上が過去最高を記録した時期なのではないでしょうか。
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入口に張り出される前日出玉ランキングでは、トップ10がほとんど万枚※かそれに近い状態でした。
(※等価交換=コイン1枚20円ならば、一万枚=20万円)
まあ、私はいまをもって万枚なんて出せたためしがないですが…。
スロット専用店などもでき、店には若者が溢れ、どの時間帯に行っても台の7割以上が埋まっているような状態でした。
それが、自分自身に対する罪悪感をますます麻痺させました。
「みんなやってるからいいじゃん」
ある日、地元のパチンコ屋で、居酒屋アルバイトの新人の、大学一年生の後輩を見掛けました。
知人を見かけたのは、それが初めてでした。
彼は、友達と二人で笑いながら楽しそうに打っていました。
『おいおい、お前、仕事できないし空気読めないって先輩から陰口叩かれてるのに、余裕のパチスロかい。よくねえなぁ』
そんなことを思いながら、私は彼に顔を背けるようにして、そさくさと店を離れました。
「あ、そういえば俺、森田さんをパチンコ屋で見掛けたんですよ!」
アルバイト先のみんなの前で、ふとそんなことを言いふらされたと思うと、吐くどころでは済みません。それは自分にとって死を意味します。
絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、絶対にこの姿は誰にもバレてはいけないのです。
「森田」は、真面目で、誰にでも優しくて、嘘はつかない信用できる奴で、優秀な大学に通う、将来有望な人物でなくてはならなかったのです。
…あんなに否定したかった自身の「像」を、私はいつしか守り、すがるようになっていました。
…
自宅
「いやさあ、どれもかなり取るのが難しいってわかってたんだけどさ、これとこれなんて、落とした人、5割超えらしいからね。でもどうしてもこの講義を受けたくてさぁ、自業自得だね」
食卓で、おかずを美味しそうに頬張りながら、口からでまかせがポンポン出てきます。
「でも、結構みんな苦戦してるみたいで、俺はわりと中間くらいかなぁ。取れた単位数としては。いやー、でも結構難しい講義多くてさあ…」
「そう? でも◯◯大学だもんね、そりゃ簡単には取らせてくれないか」
「そうなのかもなぁー、いやー結構キツいけど、今年は頑張らなきゃなあ」
「そうね、頑張らなきゃね」
母親は、自分にとってカモでした。
上手く騙して、満足させて、金を貰う。
親は、私の口から発せられる私の姿に満足してるわけですから、私が罪悪を感じる要素はどこにもないわけです。
私は、嘘にはとことんこだわりました。
嘘をつく状況と場所、時間をしっかり選びました。
まず、二人きりであること。(状況)
第三者が頭がキレる人か、感受性豊かな人がいるか、疑い深い人がいるか、私の情報を握っているか、そういうことは関係なく、単純に、嘘の場において、価値観の異なる人間が一人でも増えることは脅威だったのです。
「そうかなぁ、私はそう思わないけど」
「え、そうは言ってなくない?」
そんな横ヤリがはいった途端、気持ちよくコントロールできていた嘘が遮断される恐れがあります。
「あ、確かにこの人の言うとおり、いまの話はおかしいかも…」
こうなったら最悪。
自分を信頼してくれている人、自分を疑うことをしない人と話に嘘をつける状況で、他人の介入ほど嫌なものはありません。
次に、場所と時間。
自宅で、遅めの夕食どきを選びました。
そして、日曜日であることも。
遅めの夕食は、話が終わったあと、議論の場から離脱できるタイミングが多々あります。
食事を終えたとき、私は昔から部屋に戻る習慣がありました。親は親で、風呂の準備をしたり、アイロンかけをしたり、いつもより限られた時間のなかで家事をしなければなりません。
だから、話をしたあと、私は自然にスッと消えていく。親も、次の自分の行動を起こさなければならない。
それに、日曜日なら当然、次の日は仕事があります(私の家は共働きでした)。
聞かされた話が不快だったり、おおいに疑問の余地が残ったとしても、翌日のために強制的に頭を切り替えなければなりません。
人間、一週間も経てば、誰かの生き死にの話題以外はそこまで残らないものです。(もちろん人にもよりますが)
このようにして、私は単位不足を乗り切りました。将来的な留年のリスクも仕込みつつ。(結局成績は見せませんでした)
(ちなみに私は親に対し「友達もできなかった」「友達もダメだった」という話を多用しましたが、それは親同士の繋がりのなか、私と同じ大学に通う子供がいないと知っていたからです。それに両親はインターネット世代ではなく、パソコンも使えないので、ネットで情報の根拠を調べるなんてこともしませんでしたからね)
この話をしたことの一番の収穫は、「まだ親には私の大学合格という財産がかなり残っている」ことがわかった点でした。
「◯◯大学に通っている息子がいる」のは親にとってステータスにもなるのでしょう。
私はベッドに潜り込み、その事実に笑い、思わず口を歪ませました。
とてつもない効果を発揮する免罪符を手にしたのだ、そう思ったのです。