私はもう十分嘘をつきとおした。
私はもう十分嘘をつきとおした。
意識が沈殿したまま、最寄駅に着きました。最後にパチスロをしてから3日経っているはずなのに、右のまぶたがピクピク痙攣を起こしています。
のぼせたときのように頭が重たく、息を吸っても胸が膨らむだけで、肺が酸素を取り込んでいない感覚がしました。
駅前の、いつものATMが見えました。
『嘘だよな、本当はまだ使えるんだよな…』
誰もいないことを見計らって、ATMにクレジットカードを投入します。
「このカードはご利用になれません」
もう一回、投入しました。
「このカードはご利用になれません」
「……」
灯りがついているかどうか、自宅の周りをまわって確認しました。次に、ポストから郵便物が取り出されているかどうか、同時にレースカーテン越しに人影がないかどうかも確認しました。
「ただいま。」念のため小声で言います。もともとの予定どおり、親はまだ帰ってきてませんでした。
でも、いつもの帰りと違って、親が帰ってきていても別に構わないとも思う、不思議な感覚でした。
「どうしたの? 顔色悪いけど、何かあったの?」
心配そうに聞いてくる母親。
「いや、なんでも」
「どうしたの、ちょっと様子がおかしいよ、何かあったの」
私は涙がこみあげてきて、思わずすべてを喋ってしまいます。
「……ごめんなさい、母さん。俺、借金してるんだ。借金。しかも、借金、返せなくなっちゃって。まだ学生なのにカード止められちゃった。学生になってパチスロにハマっちゃってさ。俺だって打ちたくて打ってるわけじゃないんだよ。母さんを困らせたくてパチスロを打ってるわけじゃないんだよ。もう、どうしていいのかわからないんだ……」
俺はもう十分嘘をつきとおした。3年間、完璧に嘘をつきとおしたんだ。けれどもう、ここでいい加減、終わりにしようじゃないか……
自室に戻り、バッグを放り、ベッドに横になりました。長らく掃除機をかけていない床は雲上のようで、バッグの周りの埃はふわりと舞い上がりました。
感情はやけに穏やかで、しかし私の目は見開いていてどこかを見つめていました。布団の繊維。指先に刻まれた指紋。 ぶつけて皮がめくれた腕の傷の赤み。鼻息は荒く、深く吐かれた息が腕の産毛をなびかせます。突然誰かの視線を感じましたが、その方向を見ると、単に学習机の木目がひとの顔に見えただけでした。
時間がきて欲しくない。
親が帰ってきませんように。
このまま、自分がいなかったことにして欲しい。私の存在もなかったことに……
私の右手に握られた布団は汗と握力でクシャクシャになっていました。カネとの距離感が掴めません。小遣いを貰ってから一週間も経っていません。何故3万円がまた欲しいのか、理由が思いつかない。もう就活を理由にはできない。頭が働きませんし、考えても考えても論理的に破綻している内容しか浮かんできません。
『もうバレるしかないのか…』
走馬灯のように、いままで母親からうけた愛情が蘇ってきます。小学校の運動会の徒競走で一位になったとき。習字のコンクールで入選したとき。自由研究の発表会で学年代表に選ばれたとき。通信簿でオール5を取れたとき。
でも残念ながら私の快進撃は、小学校低学年には早くも失速していました。そのあとは、ペンを握ろうが、身体を動かそうが、「その他大勢」の枠に埋もれていました。
それからようやく、有名大学という切符を手にしました。せっかく親からの評価を巻き返すことができると思ったのに……。
「ただいま。あれ、帰ってるの?」
玄関が閉まる音がしました。呼吸が止まりました。反射的に「うん」と答えました。元気よくもなく、悪くもなく、抑揚なく、平坦な声で。
「食事はいるの?」
「うん」
2階と3階で短い言葉を交わします。
陽は沈みかけ、分厚い雲の層からうっすらと月が見えてきました。午前中にできた水溜りがまだ残っているのか、自転車が勢いよく水を蹴散らす音が聞こえてきます。
焼き魚の香ばしい匂いが漂ってきましたが、私には死刑囚が最期に食べる食事にしか思えませんでした。まぶたの痙攣も相変わらずおさまりませんでした。
「ご飯できたよ、降りてきなさい」